アメリカ・ルイジアナ州の港町、ニューオーリンズで1900年頃に誕生したジャズですが、ジャズに限らずブルース、サディコなどアメリカ音楽の多くは、ニューオリンズをルーツとしています。その理由は、ニューオーリンズがかつて欧州から移住した人々や欧州系白人と黒人の混血「クレオール」、奴隷制があった時代にアフリカから労働力として強制的に連行された人々など、多種多様な人種が集まり、新たな文化が生まれやすい土地だったということです。20世紀初頭、米国では過酷な労働を強いられた黒人労働者が怒りや苦悩、不満といった自らの感情を表現する手段として用いた音楽が労働歌、ブルースへと発展しました。これに加えて、ニューオーリンズでは歓楽街「ストーリーヴィル」などのピアニストたちが軽快なタッチで演奏する「ラグタイム」で人気を集め、アフリカ系の人々もトランペット、トロンボーン、クラリネットといった西洋楽器を使ったマーチングバンドによる街頭演奏を行うようになっていました。ジャズが誕生したのは、同時期の様々な音楽がニューオーリンズで発展・融合し強烈な「化学反応」を起こした結果といってもいいと思います。ニューオーリンズから華やかに羽ばたいた最大のミュージシャンは「サッチモ」と呼ばれたトランペットのルイ・アームストロングです。ジャズで最初の録音もこの時期。1917年、ニューオーリンズ出身の白人5人組バンド「オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンド」だったといわれています。
◆プリザベーションホール
フランス植民地時代の風合いを残す町並み、フレンチクォーターの、ミシシッピ川に面した街の一角にニューオーリンズジャズの伝統を継承するジャズ小屋、プリザベーションホールがあります。
古老ミュージシャンと若手が混じり、懐かしいスタイルのジャズを毎夜演奏しています。以前のオーナー、アラン・ジャフェはチューバ吹きでもあり、日本から訪れるミュージシャンたちに宿を提供し
地元のミュージシャンとのジャムセッションの場を作ってくれました。Preservation(伝統を守ること)の意気込みは、今もホールの経営者や出演ミュージシャンらに脈々と受け継がれています。