マディソン・スクエア・ガーデンの思い出 栗原憲雄さん

マディソン・スクエア・ガーデンと聞くとマジソン・バッグを思い出す人が多い事だろう。70年代初頭、私は高校生だったのだが、故郷の北関東でも一大ブームとなり男女問わず洒落たアイテムとして学生の間で流行ったものだ。そのマジソン・バッグのデザインのせいで、マディソン・スクエア・ガーデンはスポーツ施設と思いこんでいた。

 マディソン・スクエア・ガーデンは、マンハッタンにあるペンシルバニア駅の上に位置しているイベント会場だ。建物は円形の独特な形状をしているので、まず見つからない事は無いだろう。催し物によって異なるのだろうが、約2万人を動員する会場内はやたらと広い。年間を通じて音楽、スポーツを中心としたイベントが催され、ニューヨーク・ニックス(NBA)ニューヨーク・レンジャース(NHL)のホームになっている。

マディソン・スクエア・ガーデンに憧れを抱くようになったのは、ここでのライヴが商品化されたことによる。ローリング・ストーンズの傑作ライヴとして評価の高い1970年発売『ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト』、ジョージ・ハリソンの呼びかけに応じボブ・ディランやエリック・クラプトンが集った難民救済のための『バングラデシュ・コンサート』、映画『狂熱のライヴ』のサントラとして発表されたレッド・ツェッペリン『永遠の詩』等がそれだ。イギリスのアーティストばかりでなく、エルヴィス・プレスリーがニューヨークで初めて公演をしたのもマディソン・スクエア・ガーデンであり、いつしかロック・ファンの聖地の一つになっていた。

いつ訪れたのか忘れてしまったが、私がマディソン・スクエア・ガーデンで初めて見たのはエルトン・ジョンだった。空いた時間に何かないかとそこへ行った時に、ソルド・アウトと告知されていたものの窓口で2階席だったかの当日券を運良く入手しダフ屋に頼る事無く正規の価格で観覧出来たのだ。絶大なる人気を誇るエルトンの煌めく歌世界に、座席の角度が急だったこともあり、吸い込まれそうな気分で見下ろしながら楽しんだ想い出がある。館内は迷ってしまうほど広く、ケータリングのサービスは幅広い。設備の充実ぶりに、聖地を遂に訪問した感慨よりもエンターテインメントを満喫したという鮮やかな記憶がある。

その後で思い出深いのは、サイモン&ガーファンクルの2003年に行われた公演だ。20年振りとなるツアーを観る機会だったため2日間に渡って足を運んだ。1日目はステージに向かって右側の1階席からで全体を俯瞰しながらゆったりと楽しめた日だったが、2日目は前から5列目位のアリーナ・センター席。この位置に腰を下ろしていると観客の渦巻くような物凄い歓声に包まれ、いやが上でも興奮してくる。そしてステージが低く、その後ろに奥行きがあるせいかサイモン&ガーファンクルが宙に浮かんでいるような高揚感ある錯覚に襲われた。観る場所によってこんなにもライヴの印象が異なる会場も珍しい。

いつしか日本人アーティストも公演を行い、世界中のアーティストがここでのステージを目指す、殿堂となったマディソン・スクエア・ガーデン。生粋のニューヨーカー、ビリー・ジョエルは現在も月に一度の定例ライヴを行っているが、マディソン・スクエア・ガーデンがおよそ半世紀に渡りニューヨーク・シティのアイコンの一つであり続け何故にかくも多くの人々に愛されてきたのか、ニューヨークへ行った際には会場内に足を踏み入れ、その特別な空気を吸いこんでくるのをお勧めしたい。数年後には今ある場所から移転するかもしれないのだから。